みなさん わっしが
東京に来ましたのは
すてきと聞いたので
こちらに 来てから 六ヶ月
今にも 気でも狂いそう
今朝も 今朝とて 朝飯に
噛んでみたのが 朝の風
ところが 今夜の夕飯に
とっておくのは 夜の風

ちょっと 唄ってみたいもの
ほんの わっしの憂さばらし
ちょっと 唄って
心の憂さでも ちょっと 唄ってはらしたい

わっしが 唄っているときにゃ
わっしが 唄っているときにゃ
憂さの奴めが 逃げまする

どうして もの憂さく
なるのかと
わっしに 聞いてみたくとも
わっしに 聞くには及ばない
わっしの顔見りゃ すぐわかる!

みなさん わっしが
東京に来ましたのは
すてきと聞いたので
こちらに 来てから 六ヶ月
今にも 気でも狂いそう


アメリカの黒人詩人ラングストン・ヒューズの詩(Evening Air Bluse)に高田渡さんが曲をつけたもの。
私もお気軽にブルース・ギターの真似ごとなどしているが、ブルースという音楽の根源的な意味を考えさせられる。
はらすべき「憂さ」もなくブルースを唄う滑稽さを思う。

※この詞は渡さんの訳だったと思います。昨年8月に亡くなられた詩人木島始氏も「夕方の空気のブルース」として訳していますが、この「夜風のブルース」の方が好き。木島さんは学校時代のクラス担当でゼミも受けていましたが、ロクに授業に出ないボンクラ学生でした。合掌。