wataru高田渡さんが亡くなって1月以上過ぎた。ようやく渡さんのCDを普通に聴いたりできるようになった。少し渡さんのことを書いておこう。

「今日の深夜1時半頃、釧路の病院で高田渡さんが亡くなった・・・」4月16日の朝8時頃友人からの電話があった。彼は渡さんと以前から少し関係があり、前日には危篤であることを伝えてくれていた。渡さんが北海道ライブツアー中に倒れて入院しているのは知っていたが、こんなにあっけなく逝ってしまうとは思いもよらず、大変なショックを受けた。パニック状態であちこちにメールで連絡した後、言いようの無い喪失感がこみ上げてきて今でも引きずっている。

私たちが企画している「げんこつまつり」というイベントに、ダメ元で渡さんに出演を依頼し快諾してもらったのが昨年の1月。吉祥寺の喫茶店での打ち合わせが初対面だった。それまでは日本のいわゆるフォークソングに疎く、「60年代から歌い続けるフォーク界の巨匠」といったありきたりのイメージしか持っていなかった。曲も「自衛隊に入ろう」と「自転車に乗って」くらいしか知らなかったが、お会いしてから遅まきながらその魅力にとり憑かれてしまった。

CD聴きまくり、DVD見まくり、ちょうど公開されたばかりのドキュメンタリー映画「タカダワタル的」も2回見て、5月の吉祥寺音楽祭で初めて渡さんのライブを体験した。酔っ払いのとぼけた仙人のような風貌で、庶民の日常生活の中のふとした感慨を飄々と歌うその姿は古今亭志ん生にも似て、誰が言ったか「国が認めない人間国宝」という形容がぴったりだった。

渡さんには「げんこつまつり」に昨年6月・12月と2回出演してもらった。飲みすぎて歌えないとか、ライブ中に眠るとか、伝説はあまたあるのだが、楽屋では飲んでいたものの出演中は水を飲みながら最高のステージを見せてくれた。坂庭省吾さんの形見というオートハープの演奏も披露してくれ、「友達がどんどん死んじゃう」なんて言っていたな。握手をした手の肉厚なことと強い握力に驚かされた。この手だからあのギターの音が出るのだと感じた。あの時サインしてもらった「タカダワタル的」サントラCDが、こんなに早く想い出の品になるとは思っても見なかった。

高田渡さんの魅力は、まず何といってもその歌声の味わいだ。静かで力強く、無常を感じさせる一方で生臭さを失わず、面白く悲しい歌声。そして歌詞もまた奥深い。意外に自作の詞は少ないのだが、演歌師の添田唖禅坊、山之口獏・金子光晴といった現代詩人の作品を歌詞にしている。インタビューで「自分のものになるまで何年でも煮詰める」と語っているが、どの歌詞も自作のように聴こえてくる。歌詞というより詩。優しいのに毒があり、深い絶望を見せ付けられるような気もするし、誰かがそばに寄り添っていると感じさせてもくれる。「私たちは」「みんなで」という呼びかけの歌ではないから、逆に一人々々の「私」に歌が届き、心に沁みつき、一人々々の「私」を結びつけることもあると思う。渡さんの歌は、聴き手によって、また同じ人でも心のあり方や年の重ね方で様々な聴こえ方をする歌なのだ。「歌なんてのはウンコやオシッコと一緒で、出ちゃったものは本人にはどうしようもない。解釈は自由。そのほうが面白い」と渡さんも言っている。「この歌の意味は〜」などと自作を解説する輩が多い中で、渡るさんのような歌い手は稀有だったと思う。その渡さんが、何にも置き換えることのできない高田渡の歌声が、この世から消えたということが中々現実味をもって受け入れられない。

4月18日吉祥寺の教会で行われた内輪の葬儀には400人以上の人が詰めかけたようだ。4月28日には小金井公会堂(奇しくも第3回のげんこつまつりで渡さんが歌ってくれた場所)で追悼の会が開かれ、ここにも平日の昼間にもかかわらず1400人もの人が集まって渡さんを偲んだということだ。私は様々な理由からこの集まりには参加せず、一人で渡さんのことを想っていた。私がそうであるように、一人々々の心の中にそれぞれの渡さんの歌が消えずに残るだろう。


※Rinky Dink Studioのライブ情報誌「De Pon」連載のコラム「Hoochie Coochie Man」に加筆したものです。


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タカダワタル的 memorial edition